海馬内興奮伝播のゲート機構

関野祐子・白尾智明

群馬大学・医学部・行動分析学教室

科学技術振興事業団戦略的基礎研究「脳を創る」

はじめに

ただ漫然と物事を眺めているだけでは記憶が形成されにくいことを、我々は経験的に知っている。何か新しいことを覚えようとする時には、注意したり、集中したり、繰り返したりする。人間はコンピューターと違って、知覚入力された膨大な情報すべてを記憶に取り込むことはできない。そのかわりに、注意や意識、経験や知識、感情や気分などによって、重要な情報であると判断されれば、瞬時にかつ鮮明に多くの情報を記憶することも可能である。したがって人間には、情報を記憶するのを助ける「脳の状態」が存在すると考えられる。

「情景が目に浮かぶ」と表現するような鮮明な記憶は、とりわけ喜怒哀楽などの感情の動きが強い場合に形成されやすい。よく耳にする例として、「ケネディ大統領暗殺のニュースを見た時に自分がどこで何をしていたのかを、今でもはっきりと覚えている人が多い。」と言うのがある。自分のことを例にあげると、英国ダイアナ妃の事故のニュースをふと耳にしたときの光景を鮮明に覚えている。これらの事実は、「驚き」という感情が、普段は記憶にとどめない細かい周囲の状況までも記憶に焼き付ける効果をもたらしていることを意味している。

記憶の種類のうち、出来事や経験を視覚的イメージや言葉の記述として思い出せるものは、陳述記憶(declarative memory)といわれ、海馬とその周辺の脳組織が重要な働きをしている。では、感情や気分などにより、あたかも記憶回路のスイッチが入るかのように陳述記憶が鮮明になるということと、海馬の働きとはどのような関係があるのだろうか。我々は、注意、集中、意欲、感情など、記憶を助ける脳の状態を、情動的脳状態と表現したいと思う。情動的脳状態は、例えて言えば「記憶の動機づけ」のようなもので、記憶という行為を起こさせるきっかけである。情動的脳状態に伴う神経活動は、記憶に関与する海馬の情報処理形式を大きく変化させて、記憶形成を促進するのであろう。

海馬シナプスでは、長期増強と長期抑圧という可塑的な生理現象があることが知られている。これらは海馬スライス標本を用いると実験的に再現できるので、シナプス可塑性の分子機構は飛躍的に解明された。では、我々がここで問題にしている、情動的脳状態と海馬記憶情報処理の関係を明らかにする研究に、スライス標本を適用するためには、どのような現象に注目して解析すれば良いのだろう。

いつもは記憶に残さないような情報を鮮明に記憶することがあるという事実は、あたかも海馬には通常閉じているようなゲートがあって、情動的脳状態がそのゲートを開くかのような印象を与える。もしも海馬内にゲート機構が存在するのであれば、海馬スライス標本を用いてゲート部位のシナプス伝達制御機構を詳しく解析できるので、「情動的脳状態が海馬局所回路を制御するメカニズム」の解明が急速に進むと考えられる。実際我々は、膜電位変動を時間的空間的に可視化する光学測定法を使って、ラット海馬スライス標本内の興奮伝播経路を調べ、「海馬CA2領域に、海馬内興奮伝播の広がりを抑制するゲートがある」ことを示した。また、海馬神経回路の興奮伝播が、ゲートにより制御されていることは、カイニン酸によるCA3領域の選択的神経細胞死モデル、扁桃体海馬けいれんモデルなどでも示すことが出来た。

本稿では、ゲートの存在を示唆した一連の実験結果を紹介し、海馬内興奮伝播のゲート機構とその制御機構を考察したい。

I. 研究の背景

1. ゴルジ法による組織学的研究

 海馬における情報処理のしくみを理解するためには、海馬体を構成する神経細胞と神経細胞間の結合を解剖学的手法により観察し、さらに、電気生理学的手法により神経活動を記録することが手始めとなる。

 海馬の組織学的研究で、現在引用される最も古いものはRamon y Cajalのスケッチである25。そこには、海馬横断面の神経細胞構築と線維連絡が描かれており、想像される神経興奮の広がりが矢印で書き込まれている。Ramon y Cajalは海馬の錐体細胞層を大きくthe regio superior とthe regio inferioに分けた。その後、Lorente de N_はthe regio superiorにあたる部分をCA1とし、the regio inferioをCA2およびCA3に分けて命名した13(CAはCornu Ammonisに由来する)。現在広く用いられている海馬各部位の名称は、Lorente de N_の命名に従っている。

2. Trisynaptic circuitと薄板編成仮説

海馬内の基本的な興奮伝達経路は、Ramo y CajalやLorente de N_の組織学的研究に基づいて描かれた模式図により示されることが多い。その模式図によると、嗅内皮質から海馬歯状回へ入った入力は、CA3領域を経てCA1領域へ至り、再び皮質へ出力する。この経路は、貫通路(perforant path)、苔状線維(mossy fibers)、Schaffer側枝(Schaffer collaterals)による3つのシナプスをふくむことからtrisynaptic circuitと呼ばれている。Andersenらは、麻酔下のウサギで海馬体の各部位を電気刺激して、海馬のさまざまな部位から集合活動電位を記録して、この基本的な興奮性伝達回路を電気生理学的に検証した3。その結果、神経活動はtrisynaptic circuitにそって一方向性に伝わり、伝達した神経活動が最も強く記録された部位は、海馬長軸に対してほぼ直角方向に限局していることを示した。これにより、歯状回–CA3–CA1をつなぐtrisynaptic circuitが、海馬長軸をほぼ直角方向に横断する薄板内に編成(lamellar organization ; 薄板編成)され、これらが並列に情報を処理しているという仮説(lamellar hypothesis ; 薄板仮説)が提唱されることになった。

3. 海馬薄板編成仮説 (lamellar hypothesis)の検証

 ところが、実際にラット海馬CA3錐体細胞投射を順行性・逆行性トレーサー標識法で詳細に調べると、その軸索の分布は海馬体を3分の2ほど覆うように扇形状に幅広く広がっていた2,10,11。また、嗅内皮質からは歯状回顆粒細胞のみならず、CA1、CA3錐体細胞へ直接シナプスを形成していることも示された。トレーサー法で得られた研究結果から、海馬内の神経結合はこれまでゴルジ染色法で考えられていた以上に複雑であることがわかったが、単純なtrisynaptic circuitの概念は、今でも海馬の基本回路として種々のネットワークモデルの基本として取り扱われている。実際、Andersenらは、錐体細胞層に平行にシート状に切り出した海馬スライス標本で、再び薄板仮説(lamellar hypothesis)を検証した。そして、CA3錐体細胞軸索の複合活動電位が最も大きく記録されるのは、やはり海馬長軸に対しほぼ直角方向の薄板領域内であることを再度確認している4。

 

II.海馬スライス標本を用いた研究

1. スライス標本の有用性

麻酔下の動物や、シート状に切り出された標本で記録された電気活動をもとに薄板仮説が提唱されたことと、CA3錐体細胞軸索がCA1の広い範囲に広がっている解剖学的事実とを合わせて考えると、覚醒状態の動物では、海馬神経興奮伝播の拡がりに可変性があると想像できる。情動的脳状態が記憶を促進する際に、海馬内神経興奮回路が切り換えられていることを証明するには、自由行動している実験動物の海馬体の各部位から多点同時記録法で神経活動を記録する方法が適している。しかし、それでは伝達経路の詳しい解析はできないし、経路を切り替える伝達物質メカニズムなどを研究することは難しい。そこで、スライス標本を用いる必要性が出てくる。ところが、スライス標本を切り出す際に多くの神経軸索は切断されてしまうので、複数のシナプスを含む海馬内回路全体としての性質をスライス標本で調べる研究は少なかった。しかし、もしも海馬スライス内にある程度trisynaptic circuitを保持して切り出すことができれば、その性質をスライス標本で調べ、このcircuitにおける興奮伝達が情動性神経活動を模倣した入力または薬物刺激でどのように変化するのかを調べることが可能となる。

2. CA3−CA1間シナプス結合の電気生理学的手法による検証

 [S1]我々は海馬スライス内にtrisynaptic circuit を保持するように標本を作製し、苔状線維の電気刺激に応答するCA1錐体細胞層のfield potentialsを測定した28。Andersenらの論文に従い、苔状線維の投射が強い方向とSchaffer 側枝の投射が強い方向がほぼ同じ平面内に入るように、海馬体のほぼ中央部から腹側部の表面(海馬白板)を走るアルベウス 線維束の走行を目安に、厚さ450 _mのスライス標本を切り出した。摘出して棒状に伸ばした海馬体の長軸に対しては30-45度斜めに切り出すことになるので、ここでは斜めスライスと呼ぶことにする。刺激電極を歯状回門(hilus)に挿入して、歯状回から出た苔状線維の束全体を刺激した。刺激条件は、CA3b錐体細胞層のfield potentials振幅が最大となるように、持続時間150 μs 強さ0.6 mAを用いた。また、刺激電極と記録電極間の距離が、それぞれのスライス標本でほぼ一定になるように留意した。CA1錐体細胞層の集合活動電位の振幅が1 mV以上である34例のスライス標本について、刺激からCA1集合活動電位のピークまでの潜時を計測した(図1)。ピークの振幅がほとんど同じであるが、潜時が異なる例を、図1Aに示した。刺激(●)からPSsのピーク(*)までの経過時間(潜時)の差に注目していただきたい。図1Bには、34例のスライスで記録したCA1集合活動電位記録の潜時をヒストグラム表示した。潜時の分布は7から13 msにわたっていたが、9 msと 11.5 msに2つのピークが存在し、明らかに潜時の速いグループと遅いグループが存在することがわかった。この実験結果はCA3−CA1間にSchaffer側枝 による単シナプス結合以外に、少なくとも、もうひとつシナプスを介する経路が存在することを示唆している。

3. CA3−CA1間シナプス結合の光学的測定法による検証

 通常のガラス微小電極法よる神経活動記録では、電気活動がどのようなルートをたどって伝わってきて、またどこに伝わるのかを調べることは難しい。光学測定法はこの欠点を補う神経活動の記録方法である。

光学的測定法とは、神経組織を吸光または蛍光の膜電位感受性色素で染色し、組織の透過光量の変化または蛍光の変化を顕微鏡と光量差分増幅カメラで観察する方法6である。膜電位感受性色素により染色された標本からの透過光スペクトルまたは蛍光スペクトルが膜電位変動に応じてシフトするので、ある波長域の光量変化として膜電位変動を検出することができる。この方法では膜電位の値そのものを計測することはできないが、膜電位変動部位の空間的な広がりの経時的変化を捉えることが可能である。色素7とセンサーの大幅な改良29,32により、光学的測定法は神経興奮が空間的にどのように広がるかを観察するための手段として近年幅広く用いられるようになった9,31。

3-1. CA1領域の速い光学信号と、遅い光学信号

我々は、海馬スライス標本を膜電位感受性色素RH482(0.02%)で染色し、前述の電気生理実験と全く同様に苔状線維を刺激して、CA3−CA1間の神経興奮伝播を、光学測定法により観察した。その結果、CA1の集合活動電位の潜時分布から示唆されるように、Schaffer側枝による単シナプスとは明らかに異なる、もうひとつのシナプスを介する興奮伝播経路が存在することが明らかになった28。

 図2Aは海馬スライス標本の模式図で、四角枠内が富士フィルムデルタロン(128x128画素数、9 mm2)をオリンパスBXW50(対物レンズx5)に装着して光学信号を検出した範囲である。刺激部位と海馬各部位の名称を示した。図2B-aはCA1領域に速い光学信号(fast propagation)が見られた例で、図2B-bは、CA1領域に遅い光学信号(slow propagation)が見られた例である。どちらも、脱分極により標本からの透過光量が減少した割合を、黄色〜赤の擬似カラーで示した。最大光量変化率(赤)は、図2B-aの例では0.09 %で、図2B-bの例では0.14 %であった。刺激後4.8-msで、刺激電極周辺からCA3全体にかけて脱分極部位が広がった。この時間経過は、どちらの例でも同じであったので、ここでは図示していない。これら2例の光学信号のパターンの違いは刺激後6 ms以降に見られた。図2は、刺激後6 ms以降0.12 ms毎の光学イメージを示した。

 図2B-aのfast propagationの場合、CA3全体に光学信号が見られた後、CA2領域を飛び越えてCA1のthe stratum radiatum に光学信号が観察された(6.0-ms imageの矢印)、さらにCA1領域の中央部分に光学信号がひろがったのは、7.2 ms後であった(7.2-ms image:*) 。CA1全体にすぐに光学信号が広がることが特徴である。また、CA3とCA1との間のCA2領域には光学信号が検出されなかった

図2B-bのslow propagationでは、刺激後6.0 ms後にCA2領域に光学信号が観察された(6.0-ms imageの矢印)。CA2領域の光学的信号は徐々に強さを増し(7.2-ms image)、その後にCA1領域の狭い範囲に光学信号が見られた(8.4-ms image: 矢頭ひとつ)。CA1の中央部(*)に強い光学信号が見られたのは、刺激から10.8 ms後である。Fast propagationの例と比べると約3msの遅れがある。さらに、CA1内での光学信号の広がり方を比較すると、はじめにCA1の狭い範囲に興奮伝播がある点と、CA1のthe stratum oriens(9.6-ms image:矢頭2つ)に光学信号が見られる点が異なっている。

3-2. CA2領域の光学信号 

海馬スライス標本のCA3-CA1興奮伝播を光学測定法により検証した結果をCA2領域に着目してまとめると、_CA2領域を飛び越えた興奮伝播経路、_CA2領域を介する興奮伝播経路、の2つの経路が存在することが明らかになった。CA2領域を飛び越える経路は、CA3錐体細胞から出ている長い神経軸索側枝であるSchaffer側枝を介した興奮伝播であると考えられる(CA3-CA1直接経路)。これは、海馬の基本回路として考えられているtrisynaptic circuitに相当している。おそらく、スライス内にSchaffer 側枝が多く残ったために、この経路が観察されたのであろう。また、この例ではCA2領域の光学信号が弱かったが、それが何故かについては後述する。

数例のスライス標本でCA3-CA2-CA1経路が観察され、CA1領域の光学信号に時間的な遅れがあったたということは、CA2領域がCA3-CA1間の興奮伝播を仲介したを示している。CA3からCA2への興奮伝達はSchaffer側枝以外の短い側枝によると考えられる。また、CA3-CA2-CA1経路で見られるCA1内の興奮伝播パターンを、直接経路の場合と比べると、広範囲に同時に光学信号が広がるのではなく、まずCA1の狭い範囲に強い興奮伝達を起こしているように見える。これは、CA2領域の軸策の広がりが海馬の前後軸に広がっていると言う事実と一致している10,30。

このように、CA3-CA1直接経路とCA3-CA2-CA1経路とは独立した経路であると考えられる。これら二経路を使うことにより、海馬内全体での興奮伝播に多様性が与えられ、海馬情報処理様式を瞬時に制御することが可能になる。

III. 海馬CA2領域の機能的役割

 従来の海馬基本回路の概念に基づくと、CA2領域はCA3領域の一部とみなされており、CA2領域が海馬内回路で果たす機能的役割は全く考慮されていなかった12。我々の研究結果は、CA3-CA1間の興奮伝播において、CA2領域があきらかにCA3とは異なる機能的役割を有することを示唆している。

1. CA2領域の解剖学的な特徴

 CA2領域は、大型と小型の錐体細胞により構成さ定流転が他の部位と異なることから、Doinikowにより「Mischzone(混合区域)」と命名されていたようである。Lorente de N_は、CA1錐体細胞軸索側枝はCA1およびCA2に見いだされるが、CA3には見いだされないこと、また、CA3錐体細胞の尖端樹状突起基始部(苔状線維の走行部位)に特徴的な構造がないことなどから、CA2領域を解剖学的に同定した。しかしCA3との境界に比べると、CA1との境界が明瞭でないと述べ、将来的にこの境界部位の特徴がもっと明らかになることを予測した13。現在では、CA3aの一部とCA2領域は視床下部・上乳頭体核から神経投射を受けていることが特徴的であることが知られている8,14。またCA2領域の神経細胞はてんかん発作や虚血による遅延性細胞死に対して耐性が強く、病理学的にprotectiveゾーンと言われている5,17,35。その他にも、CA2領域に特徴的な物質の発現があることが免疫組織化学的方法により明らかになった。なかでも、成熟ラットの海馬CA2では、神経成長因子のNT-324,34やbasic FGF16,36の発現が高く、CA3やCA1とは異なる点が興味深い。

海馬スライス標本では、CA3細胞層とCA1細胞層との厚さの違いを目安にすると、CA2領域を容易に同定することができる(図3)。この部位は、「こぶ」と呼ばれている。CA1錐体細胞層では小型の錐体細胞が整然とパックされているのに比べて、CA2では層が少し乱れて、幅が広くなっている。CA3/CA2境界は、苔状線維束が走行するthe stratum lucidum((図3; CA3内の白点線)が確認できなくなる部位である。したがって、Lorente de N_の記述とは違って、むしろCA2/CA1境界(図3矢印)のほうがCA3/CA2境界(図3矢頭)よりわかりやすい。

このような特徴を有するに関わらず、ラットCA2領域は非常に狭いうえに、CA3と同じ大型の錐体細胞とCA1と同じ小型の錐体細胞が混在しているので、CA1とCA3領域の単なる移行部であると考えられていた。したがって、CA2シナプスの性質を調べている研究はなく、また、理論的なモデル研究においても、記憶回路として海馬神経回路にCA2を介するネットワークを想定している理論はこれまでになかった。たしかに、ラット海馬CA2領域は、大きさこそサル・ヒトに比べると狭小化しているが、上述のごとくCA2領域に共通の特徴をもち、CA3とCA1領域と明らかに異なる部位であり、海馬神経回路の機能を考える上で無視することは出来ない。

2. CA2領域におけるアデノシンA1受容体

 アデノシンA1受容体は、CA2領域に多く発現することが知られている。中田らが作成した抗アデノシンA1受容体抗体21を用いて、ラット脳の免疫組織染色を行った22。海馬の細胞層が皮質に比べて濃く染色され、なかでも、CA3aを一部含むCA2領域(CA2周辺領域)に強い免疫陽性反応が認められた。アデノシンはA1受容体を介して神経活動を強く抑制する。内因性アデノシンは、神経伝達物質とともに放出されたアデノシン3リン酸が、細胞外のヌクレオチダーゼにより代謝されて、シナプス間隙に生成される。また、神経細胞が過剰に興奮した後も、細胞内に蓄積したアデノシンが細胞外に放出されてくると考えられている18。海馬スライス標本で記録される電気活動が、アデノシンA1受容体拮抗薬で増強することから、内因性アデノシンは常に神経活動に抑制性緊張を与えている1。アデノシンを放出する神経細胞は今のところ見出されていないことから、神経伝達物質γ-amino-butilic acid(GABA)を介した抑制性介在ニューロンによる抑制機構とは異なる。他の部位に比べてCA2周辺領域にアデノシンA1受容体の密度が高いことから、特殊な局所回路制御を行っていると思われる。 

3. 海馬CA3選択的細胞死モデルと内因性アデノシン

ラットの片側右脳室内にカイニン酸を投与すると、神経細胞に過度の興奮が起き、数日後には同側海馬CA3領域のみに選択的細胞死が起こる20。カイニン酸による神経細胞死がCA3内にとどまるのは、カイニン酸受容体がCA3領域に分布している23,33,37ためであると考えられていた。しかし、CA1錐体細胞が直接 CA3錐体細胞からの投射を受けていることを考えると、なぜ細胞死がCA3に限局するのかが不明であった。松岡らは、あらかじめアデノシン拮抗薬、8-cyclopentyl-theophylline (8-CPT)をラット腹腔内に投与してから、脳室内にカイニン酸を注入した15。すると、細胞死の領域はCA3にとどまらず、CA2、CA1へと及んだ(図4)。このことは、通常ではCA2領域の興奮性が内因性アデノシンにより抑制されているために、CA3領域内の過度の神経興奮がCA1へ伝播できなくなっている可能性を示唆している。

4. 海馬CA2領域のゲート機能

 摘出した海馬体から長軸に対して直角方向にスライス標本を切り出すと、斜めスライスの場合と異なり、歯状回門(hilus)で苔状線維を刺激してもCA1領域で集合活動電位が誘発されない28。これは、CA3細胞からのSchaffer側枝による単シナプス結合が少ないためと考えられる27。しかし、アデノシンA1受容体拮抗薬(8-CPT)存在下で同様の刺激を行うと、CA1で集合活動電位が誘発される(投稿中)。このことは、直角方向にはSchaffer 側枝以外の神経線維連絡が保持されているにもかかわらず、そのシナプス伝達が内因性アデノシンにより抑制されていることを示している。

 直角スライスでのCA3-CA1間の興奮伝播に対する8-CPTの効果を、光学測定法により調べたところ、CA2周辺部のシナプス伝達増強が伴うことが明らかになった。また、アルベウス線維束に沿って切り出した斜めスライスでは、CA2周辺部の光学信号が非常に弱く、CA3からCA1へ光学信号が飛び越えて広がるような例が多かった。しかし、このような場合も、8-CPT投与によりCA2周辺部に光学信号が見られるようになった。これらの実験結果は、アデノシンA1受容体分布に関する免疫組織染色の結果と一致している。また、斜めスライスを用いた光学測定による観察では一部にCA3-CA2-CA1経路が見られた例があったが、斜めスライス・直角スライスともに、アデノシンA1受容体拮抗薬はCA3-CA2-CA1経路を賦活化する。従って、CA2周辺領域のシナプス伝達は内因性アデノシンの作用を介して、他の部位に比べて閾値が高く設定されていると考えられる。このような性質をもったCA2周辺領域のシナプスは、海馬内神経興奮伝播においてゲートとして働きうることがわかる。

CA1領域で潜時の短い集合活動電位が誘発されるのは、斜めスライスを実験に使った場合である。したがって、CA3-CA1直接経路は薄板(lammella)内の神経興奮伝播に寄与していることがわかる。一方、CA3-CA2-CA1経路は、薄板間の興奮伝播に重要な役割を果たしている可能性がある。言い換えれば、CA2領域を介する興奮伝播は、隣接する薄板間に興奮を伝えるゲート機能を有すると思われる。カイニン酸による神経細胞死がCA3に限局するのは、まさに、CA2のゲートが働いているためであろう。

Andersenらは、海馬の薄板編成は独立の機能ユニットであるとしながらも、隣接する薄板間の影響が重要であることを述べている3。先にも述べたように、新しい情報の記憶が、情動的脳状態により影響されるという事実は、同じ情報に対して、海馬が情報処理機構を切り替えうることを意味している。従って、海馬機能の制御には複数の薄板間を結ぶ興奮伝播制御が重要な位置を占めるであろう。CA2領域が海馬内興奮伝播のゲート機能を持つのであれば、この領域の神経活動がいかにして制御されているのかが、海馬機能にとって重要となる。

 CA3-CA2-CA1経路の興奮伝播は、入力の強さとアデノシンによる緊張性抑制とのバランスにより制御される。すなわち、アデノシンA1受容体を介した抑制が強ければ、CA3-CA2-CA1経路は働きにくく、弱ければ働きやすいことになる。面白いことに、海馬では睡眠覚醒に伴って、細胞外アデノシン量が増減することが知られている。また、脳内にアデノシンを投与すると眠気を誘発する。これらのことを考え合わせると、眠気を感じているときは、CA3-CA2-CA1経路は働きにくいと思われる。眠気は、やる気・集中力・感動などの情動的脳状態を作りにくくするために記憶力を低下させると考えると、話のつじつまが合うようである。

IV. 海馬内興奮伝播制御

1. 視床下部・上乳頭体と海馬シーター波

 CA3aの一部およびCA2の細胞層には、視床下部・乳頭体上核(Supramammillary nucleus; SuM)からの神経線維投射があり、他のCA3やCA1とは解剖学的に異なる。SuMに順行性トレーサーを注入すると、CA2錐体細胞層と歯状回顆粒細胞層に神経終末が見出される8。SuMの神経活動は、海馬θ波(ラットが新規環境で探索行動を行うときに記録される4-10 Hzの脳波)と同期しているので、海馬θ波の発生源の可能性があり、興味深い場所である。SuM神経線維は、CA2錐体細胞、歯状回顆粒細胞に直接興奮性シナプスを形成している14。しかしながら、伝達物質はわかっておらず、直接海馬の活動を誘発するというデーターもない。ただ、この部位に前もって数発の前刺激を行っておくと、嗅内皮質電気刺激よる海馬誘発電位が若干増強するという報告があるだけである19。このように、SuMの神経活動が海馬内興奮伝播に必須であるかどうかは、はっきりしていなかった。

2. 歯状回のゲート機能

 SuMの神経活動と海馬内興奮伝播の広がりの関係は、スライス標本で検証することはできない。そこで佐治らは、カイニン酸による海馬てんかん波モデルを利用して、SuM神経活動が海馬内興奮伝播を制御する事を証明した26。ラット片側の扁桃体(the lateral and basolateral amygdala)にカイニン酸を局所注入すると、海馬に高頻度に、発作間歇時棘波(Interictal spike)が生じる。強い神経興奮を起こした神経細胞内にc-fosタンパクが発現することを利用して、過剰な神経興奮が嗅内皮質から海馬歯状回へ伝播して、CA3、CA1へと広がる様子を、c-fosタンパクの免疫組織染色で可視化した(図5)。低用量のカイニン酸投与では、全例で嗅内皮質から歯状回にかけてc-fos発現が見られ、高用量の場合には、c-fosの発現は海馬錐体細胞層全域まで広がった。カイニン酸投与の直前に、SuM(両側)にムシモール(GABA作働薬)を注入して神経活動を抑制しておくと、海馬脳波は平坦になりけいれん波発生は阻止された。それに伴い、カイニン酸によるc-fos発現も抑制された。重要な点は、c-fos発現が嗅内皮質にとどまるものが多数観察されたことである。つまり、乳頭体上核の神経活動を抑制すると、嗅内皮質の強い神経興奮が海馬内へ伝播しないことがわかった。言い換えれば、歯状回には抑制性のゲート機能が存在し、乳頭体上核神経活動は歯状回の抑制を解除する働きをしている。また、海馬CA2領域は、c-fosの発現が最も起こりにくい領域であり、乳頭体上核の神経活動が抑制されると、CA2領域のc-fosの発現のみが抑えられた例もあった。このことは、CA2領域が、乳頭体上核の神経活動と密接に関係していることを示している。このように、この研究から、海馬内への情報の取り込みや海馬内興奮伝播には、抑制性のゲート機構が存在し、海馬外からの神経活動によってその開閉が制御される可能性が示された。

まとめ

海馬内興奮伝播と、抑制性ゲートによる制御機構の全体像をとらえる目的で、スライス標本の実験データーから得られた結果を模式図で表した(図6A)。直角方向に切り出したスライス標本では、神経活動がCA3内にとどまる様子を緑矢印で示している。また、アルベウス線維束にそって斜め方向に切り出したスライス標本で観察された、CA3-CA1直接経路と、CA3-CA2-CA1経路をともに水色矢印で示している。この標本にはいわゆるtri-synaptic circuitが保持されており、Andersonらの薄板仮説に矛盾しない。

ところで、CA3-CA2-CA1経路の機能的役割を考える上では、アデノシンA1受容体による制御が重要となる。CA2領域にはアデノシン受容体が多いことから、アデノシンによる抑制作用が強いと考えられる。図6Bには、CA2領域(赤点)を介する回路がアデノシンA1受容体拮抗薬で賦活化される様子を示した。直角方向のCA2-CA1への興奮伝播は、アデノシンA1受容体による抑制のために通常の場合スイッチが閉じられている。アデノシンA1受容体拮抗薬投与により、CA3-CA2-CA1経路にスイッチが入ると、異なる薄板間をつなぐ方向への興奮伝播(赤矢印)が見られるようになる。また、斜め方向の興奮伝播も強まり(水色矢印)、海馬体の広い範囲に神経活動が広がると想像される。実際には、もっと細かな制御を受けているものと思われるが、このような形で海馬内の薄板間をつなげたり切り離したりすると、海馬からの情報が大脳皮質に帰っていく範囲を切り替える結果となる。種々の情報を瞬時に関連づけて覚える時にこの回路が働くと考えると、興味深い。

生体内でCA3-CA2-CA1神経回路にスイッチを入れるのは、おそらく乳頭体上核神経活動であろう。CA2領域が乳頭体上核から選択的に神経線維投射を受けていることや、乳頭体上核の神経活動は、海馬の神経活動と密接に関わっていることから、乳頭体上核からの入力はアデノシンによる抑制を取り除くように働くと思われる。乳頭体上核の神経活動と、情動的脳状態との相関関係が証明されれば、情動的脳状態により新しい記憶がより鮮明に形成されるメカニズムの研究が、スライスレベルで行えることになる。

我々は、これまでのtrisynaptic circuitと薄板(lamellar)仮説に基づいた記憶回路モデルを修正し、 CA2領域を独立した機能領域と考える記憶回路モデルを考案中である。

「覚える」ことは、人間にかぎらず動物の生活の基盤である。また、高度に情報化した現代社会では、次から次へと新しいことを覚えていかなければ生きていけない。そのため、記憶に関する社会的関心は今までにも増して強まっている。脳が新しい情報を取り込むシステムを活性化するためには、情動的脳状態を何らかの形でコントロールできるようになることが、重要な鍵となる。今後、記憶の回路の情報取り込み機構としての情動的脳状態の神経機構を解明していきたいと考えている。

 

 

文献

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Sekino and Shirao

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